謝罪とお詫び

やはり…



やはり日記の更新が滞った。
自分の飽きやすさについては先日言及したとおりであるが、まさかこんなに早くその魔の手がさし伸ばされるとは、
いやいや、魔の手などという、どことなく自分の力の及ばないモノのような表現をするのはますます自分を貶めていく気がしてならない。
この飽きやすさは自身の才能であり、打ち破るべき殻である。



言い訳

これは鬼のような単語である。
仮に、職務を怠ろうという気がこれっぽっちもなく、偶然に偶然が重なって、ほんとに偶然たまたまその職務を犠牲にせざるをえなくなった人間がいたとしよう。
怒り心頭し、仁王立ちで彼の前に立ちはだかる脅威に対して、彼はあらゆる手を尽くして当時の出来事の一分一秒漏らさず弁明するだろう。

そのどうしようもなく強靭な事実で塗り固められた、彼にとっての「最強の盾」はしかし、言い訳という砥ぎ石を伴った、相手の「最強の矛」にあっさりと貫かれてしまう。


この世は不条理なのか。




とはいっても私はそれといった理由もなくただ怠けていただけなのだ。言い訳など出来まい。
お詫びといってはなんだが、最近考えた「揚げ足話」をひとつ。


最近良く目にする「自動ドア」
あれには2種類確認できる。
ひとつは、その前にただ突っ立ってるだけで勝手に開くもの
もうひとつは、「軽く手で触れてください」という但し書きがあり、所定の範囲内に触れないとドアが開かないもの

ある日ふと思う。
後者は自動ドアではない、と。
なぜか、
そもそも自動ドアとは「こちらがドアを開けるという積極的行動をせずとも勝手に開く扉」のことを言うのであろう。
しかし、後者の扉は、ドアを開けるために手を使わなくてはあけられない。
「こちらがドアを開けるために積極的行動を要求する扉」なのである。
その点で手動ドアなのではなかろうか。

ただ、完全な手動ドアというわけでもない。
ドアが自動で開くきっかけとして、手が必要というだけである。(しかもぶっちゃけた話手でなくとも、足、あご、おでこなどでも代用可ということから手動といっていいのか、疑問だが。)
ドアが開くまでの過程は自動である。

半分手動で半分自動、日本人が大好きなグレーゾーンである。
海外ではああいったあいまいなドアは見られるのだろうか?興味深い。







まだ書き足りない気分だが、時間が時間だからこの辺で。