北の大地にて。

昨日日本の文化を発信する一大イベントを日本人留学生ほぼ全員で開催した。
お客さんの数は約300人。スタッフの数は36人。
2か月間という短い期間であったが、パフォーマンスも食事も、大好評。俺達もみんな楽しめて、最高のパーティーだったと思う。
俺はそこで、サブリーダーという役に付いていたのだけれど、とても素敵な経験をできたと思う。

このイベントが始動したとき俺は正直そこまでやる気が出なかった。サブリーダーになったのもやることがなくだろうという予想のもと、リーダーの陰に隠れて楽できると考えたからだ。
そんな思いで始めたのだから当然初めの1か月は書記のような役割しかせず、ほかの仕事はリーダーにほっぽり投げていた。何もしなかった。
一か月たち、旅行にかなり行ったこともあって、そろそろこのイベントや勉強に集中しようと思った。同時にほかのメンバーからもっと働け、という苦情が届いた。
当たり前だ。ほかのメンバー(全員ではないが主要な人たち)はしのぎを削ってやってきていたのだから。
この2つが契機となって、俺は本腰を入れて取り組むことにした。

「地位や目立つ役についたときに伴う責任」
「誰かをだましてさぼろうとするなんて、意味がないということ。」

俺は視野が狭かった。全然狭かった。自分の行動で人がどう感じ、どう思うのか、想像して行動すること。そして、その行動が、今つながっているみんなのためになること。それの必要性を強く感じた。それができなければ集団で必要とされる存在になることはできない。とても当たり前のことだ。そんなことを見落としていた。

本腰をいれる決心をして、まずサブリーダーとして、何をすべきかについて考えた。
当時、班同士の連携があまり良くない状態であった。班同士が批判しあい、敵視する、という状態であった。
それは各班のコミュニケーションが取れていないためだと感じた。なので、俺は各班に参加させてもらうことで、班同士の架け橋になろうと考えた。
すなわち、すべての班のミーティングに参加し、すべての班の行動を把握し、それを他の班に伝えることで俺自身がコミュニケーションの道具になろうとしたのだ。
これについてのフィードバックはまだあまりできていないのだが。

それからは、本当にあっという間に時が過ぎて行った。
色々な班に参加し、メンバーの一員として意見を言って、連携が必要な部分は他班に報告して、一緒に考えた。
この仕事はまるで隙間を埋めるような仕事だった。でも、人とコミュニケーションが取れて、それがうまくいったときの充実感、FBで成果をポストして「イイネ!」を押された時の充実感は本当に良いものだった。

ただ、決めたことの多くは先人に切り捨てられた。しかもそれが合理的で、かつ正当なものだったのでぐうの音も出ないほど負かされた。ぐう負けである。
その人の言葉でとても自分にキタものがあった。

「こんなの日本でやっているからやっているだけだろ。これのどこが合理的なんだ、説明してみろ。私を説得できるくらいの合理的な理由があるのなら認めるけど、、、ないだろ?駄目だよそんなんじゃ。日本の先入観を消す経験をしなきゃ。それが留学の醍醐味だろう。前例のないことを臆することなくやらなきゃ。」

その通りだ。日本魂やら、心やら、らしい言葉を使って自分たちの不合理やモードを正当化させては駄目なんだ。
前例のないことを臆することなくやる。そういう突破力を俺は持ちたい、と強く思った。


サブリーダーをやり、いろいろな班にかかわって心から感じたことがある。
メンバーを一人の人間として偉大だと、尊敬できるようになったのだ。
それまでは、学歴、会話力、性格など自分が気に入ったような人しか認めなかった節が俺にはあった。

キッカケは、各班のリーダーを心から尊敬するところからだった。
全体リーダーは、素直で、俺には見えない人の素晴らしさを見ることができて、人一倍考えて努力していた。
パフォーマンスリーダーは、持ち前の陽気さで場を和ませながらまとめていき、みんなを一つの目標(完成度の高いものに持っていく)に向かわせ、チームワークを本当に重視していた。
デザインリーダーは、「会を高校の学祭から、商品化できるクオリティーに持っていく。」という方針のもと、質の追及に全力を注いでいた。
PRリーダーは、コミュニケーションとチームの仲を大事にしながら、学問を現場に生かしつつ精力的に活動していた。
食事班リーダーは、ひたすら努力して努力して努力してまとめていこうとしていた。
どの班のリーダーも各々の発揮する能力において群を抜いた力を発揮していた。
尊敬せざるを得なかった。
そして、その中には上にある俺の性格に当てはまらない人もいた。
そこで、俺の価値観が変わった。

そう考えながら、改めてメンバーひとりひとりと関わってみると、みんなほかの人には持っていない特別な魅力を持っていることに気が付いた。

「人間ってなんて大きいんだ。」素直にそう思った。
俺は傲慢だった。



ところで、本番1週間前になって、サブリーダーの仕事が急に少なくなった。というのも各班がつながり始めたからだ。
フェーズが変わった瞬間だった。
しかし、今になって考えてみると、やることはあったと思う。
食事班とほかの班との連携のニーズが高まっていたことに気付けないでいた。

俺は、演技をする班にも入っていたこともあり、演技の練習に集中することが多くなった。
練習に練習を重ねた。本番で完璧な演奏をするために。
しかし、ミスをした。
予想外の対応に対処できず、緊張に緊張して、周りが見えなくなった。
なし崩しに歯車が狂った。
それが本当に悔しくて、悔しくて、いっそ大声で罵倒されたかった。
自分の小ささ、叩いたら壊れるような柔軟性のなさが課題として残った。

最後に、各班のグループの特徴の分析と考察をしたい。

パフォーマンス班
リーダーを筆頭にいいチームワークだった。
途中、本番までにやる気のない人とやる気のある人のギャップから、亀裂が入りかけたけど、それもリーダーやその他ムードメーカーの作るムードによって修復されていた。
そのような逆境を乗り越えたチームは強い。
そこからのチームワークは本当にすさまじかった。こんないいチーム今まで見たことがない。

デザイン班
リーダーは割と完璧を好む人。デザインに対して徹底したこだわりを見せていた。
ただ、情報と意思をうまく疎通することに失敗して、チームは分断。やる気のある人とやる気のない人の分断ではないが、そうさせるムードになってしまった。
PR用デザインと会場のデザインをするのに分けた理由がそれである。前者はPRのほうで仕事一杯やっているのだから、後者もやれ。という感じで。
それも最後のほうには団結してやる必要からか、みんなの士気が上がったからか、リーダーは結構人間性のある人なので、そちらがよいと考えて団結の方向に向かっていった。
仕事をあまりしない人も、仕事が与えられて期限が迫ってくることでやるようになる。そこに少しでも核となる人が混じって一緒に考えることをすると、その人たちの士気は一気に上がるようだ。

PR班
会議の前に必ず食事をとり、そこでみんなの絆を強いものにしていた。食事中は議題を出さなかったという。
時間のロスはかかるけども、そうすることによってみんなの団結力は高まり、PR班は何事にも全員で全力でやっていこうとするいいチームになった。

食事班
リーダーはものすごい努力家。それを隠そうとしてもにじみ出てくるほどの。それがチーム全体をひっぱっていったと考える。
組織事態はあまり効率的ではなく、女子のお茶会のような、会話が四方八方に飛んでいって戻ってこない会議をしていたため、リーダーがやらなくてはいけない仕事量が時間が過ぎるたびに増えていった節がある。
それを投げ出さなかったリーダーには深く敬服する。
チームワーク自体はよかったのではないか。というのも、ガールズトーク会議のため亀裂があまり生じない+食事は個人作業なため他の干渉を受けることなく自分のものに集中してさえいればよい。という理由からだと考察。
俺の問題でもあるのだが、終盤でほかの班との連携が必要になりしかし、自分らは一番大変だという思い込み(?)から仕事を一方的に投げ出す。という事態が生じ、食事班へ批判が集まった。





これが大体、正味1か月での経験と学んだことだ。
この経験は人生で絶対に生きる。そう確信したイベントだった。