就活問題まとめ

日本で就活が始まった模様。
日本の就活は12月を期に一斉に行われる。
大学3年生(21〜22歳)はできるだけ「有名で」「お金を稼げる」大手の会社を狙って激しい競争をしなければならない。
それは12月から、はやくて4月、遅くて6月までかかる。当然どこにも入れなかった人は留年して、次の年に再チャレンジする。

一般的に日本での就活は新卒者が有利だ。新卒者とは大学を4年間で卒業できた人間の事で、年齢でいうと22,23歳で社会に出る人たちだ。なぜか、それを知るには日本の社会について少し知ってもらいたい。
1)日本は年功序列社会である。年上を尊敬し、ついていく風習がある。
2)日本は空気を読まないと嫌われる文化がある。「出る杭は打たれる」という諺にもある通り、日本の同調圧力は群を抜いて強く、団体に異質な者がいることをひどく嫌う。

これは、個人の中に潜在している考えというよりかは、古くから引き継いできた因習のようなもの。
個人においてこの考えはあまり見られなくなったのだが、日本のシステムの中にはまだ見ることができる。

つまり、新しく入ってくる社員の中に、年上が混ざっているとやりにくいという理由から、新卒でないものは採用されにくいのだ。

もう一つ。莫大な数の履歴書を見なければいけない企業は、新卒かそうでないかで振り分けるというケースもある。なぜなら、既卒者=大学中就活に失敗したor何もしてこなかったリスクを持つためである。
新卒でないものは、それだけでリスクになるのだ。


上記2つの日本的風土から、日本企業は同じ年齢の人たちを採用したがる。
かつ、企業の効率向上のために、時期を定めて一斉に採用する。

それが、今の激しい就職競争を生んでいる。

大学側からすれば、この状況は喜ばしいものではない。
なぜなら、12月から6月までのこの時期、大学生は就活に明け暮れて勉学をほとんどやらなくなるからだ。
学部が4年ある日本では、大学3年の後半〜4年の時期というのは、学問の専門性をさらに深められる大事な期間だ。
この大事な時期を勉強以外の事に費やすことは、大学側にとっては不本意なはず。


ではなぜ日本の若者は学業をおろそかにしてまで、就職活動を血眼になって行うのか。
日本では一度既定のレールから外れてしまうと、もう戻るのは難しくなってしまうということだ。ここから始まる就職活動が、たった一度きりのチャンスなのだ。

上で述べた「同調圧力」がここでも働いているのだが、それをもう少し具体化したい。
1960年〜80年代。企業は、「年功序列」「ゆりかごから墓場まで」という理念を掲げて発展してきた。新卒者を自分の企業で自社文化の中で最大限力が出せるように育成し、その人材を定年まで採用し続ける。家族形態のような企業文化があった。
自分たちの企業文化にあっていない人が入社してくることを極端に嫌い、ゆえに中途採用をほとんどしてこなかったのだ。

流動性の高まった今日の社会でさえ、企業はその文化を堅持している。



このシステムは合理的だろうか?
そうは思わない。理由3点挙げる。
激しく風潮が変わる現在、企業はそれに合わせてどんどん変わっていかなくてはならない。企業文化というものは、時代とマッチしないただのお飾りになってしまっている。
高度経済成長後、日本は「和」を重んじる企業社会から欧米風の実力社会へ半分は移行した。かつてのような家族文化は薄れ、社内でさえ競争原理が働くことも多くなった。
半実力社会化ゆえに、新卒者を家族のように育てるという文化はなくなる。
残ったのは、新卒者一括採用という形骸化したシステムだけ。

実力社会になりかけている社会において、企業が生き残るにはより有能な人間を雇う必要がある。それを新卒者かそうでないかで振り分けるのは理にかなっていない。よりフレキシブルな組織運営をするために、日本は均質性よりも多様性を重んじるべきだ。

人間は失敗から学ぶ生き物である。それなのに、一回の失敗で、復帰がすごく難しくなるシステムというものを温存しておいていいのか。
このシステムが危険回避思考を生み、イノベーティブな発想を阻害しているのではないか。


幸いこの流れを断ち切ろうとする企業もたくさん出てきている。ただし、全体から見てそのような企業はまだ数少なく、システムを変えるまでには至っていない。
行政と企業が協力して本気で変えようと思わなければいけないのだが…

日本が長年抱えている問題の一つでした。

僕も日本の学生の一員として、就職活動をすることになるだろう。
しかし、せっかく大学に入って勉強しているのだ。もっと勉強したいという気持ちの方が強い。ゆえに就活よりも勉学を優先させるような就職活動を工夫して行っていきたい。もしくは大学院…なんてことも視野に入れて。